皆さま、ごきげんいかがでしょうか。
いつも、ご覧いただきありがとうございます。
美の国 金沢より発信をしております
マナー&印象クリエーターの砂田ちなつです
『素敵なマダムになるための、とっておきな秘訣』は
知性と美しい佇まいは“あなたの”最良の財産です
を、テーマに女性が豊かな人生を送られるヒントをお届けしております。
タイトルにもありました、マリーアントワネットが髪飾りにした植物はジャガイモの花でした。これは、ジャガイモの普及のための宣伝戦略の1つとして用いられました。
スーパーなどでは秋の味覚が並べられ始めていますね。新ジャガもそろそろ並ぶ時期ではないでしょうか。本日はジャガイモがヨーロッパに渡ったきっかけから、食料不足を救う植物として認知されはじめたお話までをお伝えいたします。
●大航海時代に発見されたジャガイモ
南米チリのアンデス山脈がジャガイモの原産地とされています。今も野生種は生息しており、今の食用のジャガイモと比べると個体自体もとても小さくイモは小指ほどの大きさです。そして、毒があるので食べられません。ジャガイモの種類は300種ほどあるとされ、先住民はその中から、毒が少ない物を見つけて食用にしていったとみられます。
ジャガイモがヨーロッパに伝えられたのは、コロンブスやピサロが活躍した大航海時代の16世紀にヨーロッパ人がアメリカ大陸を発見し、ヨーロッパでは見慣れない植物をみつけヨーロッパに持ち帰った中にジャガイモが入っていました。
そして、ヨーロッパに広まりその後ジャガイモの有用性が広まり世界で栽培がされるようになりました。
●マリーアントワネットの髪飾りにして宣伝に使った
ヨーロッパに伝わったばかりの時、ジャガイモは観賞用で実の方よりも花を楽しみました。ジャガイモはスペイン人が野蛮人扱いをしていたアンデスの先住民が大好物だったために、気位が高いヨーロッパ人は食べ物としては好まず、動物や貧しい人の食べ物とされていました。
ところが、フランスの農学者アントワーヌ=オーギュスタン・パルマンティエの戦略によりフランスではジャガイモに対しての見方が変わり、17世紀半ばには飢饉の時の助け舟として見直されるようになりました。
パルマンティエはジャガイモの普及のために、様々な計略をめぐらせたと言われており、その1つが王妃マリーアントワネットにジャガイモの花を贈り、それを夜会で髪に飾ったことからパリじゅうでジャガイモという珍しい植物の名前が広がるきっかけを作りました。
その後、ジャガイモ畑を王の承認のもと番兵に見張らせることで、貴重な植物と言うイメージを抱かせ、盗ませることで広める宣伝戦略をめぐらせたりもしました。
その甲斐あって、ジャガイモ栽培が広まり飢饉対策に大きく貢献したと言われています。
※ダイアモンドオンラインより
左巻健男(さまき・たけお)氏のコラムより
出典「世界は科学でできている」池谷裕二著
今は家庭料理でも大活躍のジャガイモですが、意外なエピソードがあったのですね。
今回使用したマリーアントワネットの画像は2014年に訪れたフランス旅行で撮影したものを使用しました。
最後までお読みくださりありがとうございました。
『素敵なマダムになるための、とっておきな秘訣』は
公式LINE@に登録されますと、投稿のタイミングを直接お知らせいたします。
ID @fkb8886c
■オンラインサロンメンバー募集中
Atelier Juillet無料オンラインサロン開設いたしました(女性限定/Facebookグループ)。
こちらのサロンでは、各種レッスンのオンライン公開や芸術のシェア、そして、公開できないプライベート情報なども公開していきます