■Epi.55 七五三の由来から目的 編
皆さま、おはようございます。
【素敵なマダムになるための、とっておきな秘訣】を月・木曜日と週に2回配信しています。
お出掛け前に目を通せるボリュームの記事で書いています。
第55回目のテーマは『七五三の由来から目的 編』をお伝えいたします。
■七五三の本来の意味と目的とは

男の子も女の子も、立派な着物に身を包みお宮参りに行き、手には千歳飴。そんな光景が今はたくさん見られる季節となっています。
昨今の七五三は都会的なイベントになっていますが、もともとは、農村でごく自然に生まれた風習でした。
三歳になると「髪置き」という赤ちゃんから子どもになるお祝いをしました。
昔は赤ちゃんは男女ともに髪を剃って坊主頭で、三歳の誕生日または11月15日から初めて髪を伸ばす風習がありました。髪置きの行事は、三歳の子どもに白い糸で作った髪を被せ、頭頂部に白粉をつけて櫛ですいてお祝いをしました。
また、氏神様にお参りをして、赤飯を炊いてお祝いの席を設け、母親の実家や親せきから着物や帯が贈られました。
五歳(時代、地方によっては三歳や七歳のところもある)になった年の11月15日には、男の子のお祝いで「袴着(はかまぎ)」という初めて袴をはく儀式がありました。
一方、女の子は七歳になると、それまでは紐付きの着物だったのが帯を締めるようになりました。これを「帯解き」や「紐解き」などといいます。地方によっては五歳や九歳で帯解きをしたり、男の子も帯解きをするところもあったようです。
七歳というのは、子どもの成長においてとても重要な年齢でした。それまでは神の子から、七歳を境に初めて社会の一員として扱う風習がありました。昔は乳幼児の死亡率が高かったために、七歳になるまでは人別帳(にんべつちょう/寺社が管理をしていた戸籍台帳のようなもの)への登録をせず、亡くなっても本葬も届け出もしなかったといいます。七歳になると初めて氏子入りをして、氏子の組織である宮座(みやざ)にも名前が入れられました。まさに一人の人間として、地域の共同体の一員として仲間入りをするのが七歳だったのです。
このように、七五三は地域の氏神と深い関係にあるお祝い行事です。また、11月は秋の実りを産土神(その土地に生まれた人間を死ぬまで見守り、守護してくれる神様)に感謝する月でもあります。その月の満月の日である十五日(旧暦)に、産土神や氏神に収穫の感謝をするとともに、子どもの無事の育成を感謝し成長を祈る行事が七五三でした。
なお、「七五三」という名称が広く使われるようになったのは明治以降のことです。三歳、五歳、七歳の全ての行事が着物の新調にからむため、江戸時代中期に呉服屋が商業政策として、これらの行事をセットにして「七五三」として江戸の町に宣伝したのが、今の七五三スタイルの原型といわれています。
※出典:家の光協会 自然のめぐみを楽しむ昔ながらの和の行事 石坂昌子著より
そして、
12月1日(日)のラグジュアリークリスマスパーティのご参加を受け付けております。
少人数で冬の北陸の食材をふんだんに使った今回限りの特別メニューをご用意いただきます。学びを中心としたパーティーなので着席スタイルでゆっくりとお食事を楽しみながらこれから大活躍するコートの着方・扱い方やスタイルアップにつながる椅子の座り方、ラ・ベットラ・ダ・オチアイの名前の由来になったフィレンツェの街のお話などをご披露いたします。
詳細は下記のリンクボタンからご覧ください
ご参考になさっていただけると嬉しいです。
皆さま本日も笑顔あふれる1日をお過ごし下さいませ。
「大人の女性が身につけたいお付き合いマナー」コースでは、日常生活で役に立つ様々なマナーをご紹介しております。上記の更に詳しい内容は講座にてお話をしております。

ID @fkb8886c
LINE@にご登録されますと、配信のお知らせがとどきます